ことばの力

 先日まで放映されていたドラマに「学校のカイダン」というのがありました。最初は学校にまつわる「怪談」話かと思いましたが、そうではなく、一人の高校 生が演説によって荒廃した学校を建て直すというストーリーでした。「熱い議論」が好まれないイマドキにはちょっと珍しいテーマでした。ドラマの善し悪しは 別として、演説、言葉にはものすごいパワーがあることは事実です。


「~わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか~」第35代アメリカ大統領J.F.ケネディーの就任演説にアメリカ中が沸きました。

 

「~私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。 私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である~」 キング牧師の残した名演説も世界を感動させました。

 

「~わたしの信念によると、もし臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしでは ずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。しかし、わたしは非暴力は暴 力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらにたけだけしい勇気と力がいることを知っている~」これはインド独立の父カンディーの演説です。

 

 最近ではオバマ大統領の「イエス・ウィー・キャン」も人々を熱狂させました。これらの演説は時に戦争をも止め、人々を奮い立たせ、勇気を与えました。演 説だけでなく、人が紡ぎだす文章も感動や感銘を与えます。昔から「ペンは剣よりも強し」という言葉もあるくらいです。

 

 反面、まったく心に響かない言葉も多々あります。下手な芝居のセリフは聞いていられませんし、心にもないお世辞は嬉しいどころか嫌悪感さえ感じることもあるでしょう。説得力がまるでない!という言い方もあります。
 同じ言葉でありながら何がこんなに差をつけるのでしょうか。それは発せられる言葉に込められた「思い」の違いでしょう。世界を変えた演説、言葉がすべて 正しいとはいえません。またすべてが実現するということもないでしょう。しかしながら少なくともその演説、言葉を発した人の心の中には「それらを実現させ なければならない」、「そうでなければならない」という強い思いがあります。

 

 光の人類まで進化を遂げると言葉はなくなります。意思疎通はテレパシックなものになります。ですから嘘をつくことは出来ません。言葉を操るということは 今の地球だからこそ出来る素敵な「技」なのです。SNSなどの大変便利なコミュニケーション・ツールが身近になった今、短い言葉で子供たちが傷つきます。
新しい「いじめ」も出現しました。こんな便利な世の中だからこそ、心をこめた言葉を発したいものです。