☆「変える」ことは簡単だけど、難しい!


 とにかく猛暑の夏でした。皆様は如何お過ごしでしょうか。それにしても何かすっきりとしない2013年です。連日、新聞の見出しには「景気回復」した企業の話題が見られ、高級車や高額時計が飛ぶように売れているとか、新富裕層と呼ばれる方々の華やかな生活が報道されています。これはこれで喜ばしいことではありますが、反面、子供たちの6人に1人が食べ物にも困っている状況にある(註1)…とか、収束宣言したはずの福島原発では汚染水が流失し、海の汚染が拡大したり等、何かバランスに欠けた社会状況になってしまっている様子が伺えます。

 

 未来創学的な今年のキーワードを覚えていらっしゃるでしょうか。「混沌」です。新しいものが生まれてくる「場」というのが「カオス=混沌」の語源ですが、まさにそんな時代がやってきていることを皆様もお感じになるでしょう。天候も異常ですし、医療保険、社会保障、経済等々、社会のシステムも「賞味期限切れ」というような感じです。以前は温帯気候といわれた日本ですが、今では亜熱帯気候に近づいているのでしょう。また日本が誇った医療保険システムも破綻しそうで、製造業は海外に移転し空洞化が進み、金融経済が台頭し、貧富の差がひらいています。そこら中で「安心・安全な社会」が叫ばれていますが、現実にはまったく逆の方向に進んでしまっているようです。いつの時代でも貧富の差は存在し、社会の大きな問題となりますが、今、我々人類はかつて経験したことのない「技術」によってこの大きな問題に直面しています。それがデジタル技術であり、それを利用した「金融工学」と呼ばれる経済手法です。これらはまったく新しい技術革新を人類にもたらし、素晴らしい利便性と文化などを提供もしていますが、反面人々から仕事を奪い、人間の感性ではついていけないほどのスピードで社会を動かすために、多くの精神疾患をも生んでいます。そして普通の人が、普通に頑張って一生働いても得ることの出来ない巨額の富をほんの一瞬にして手に入れてしまうという矛盾を生んでいます。これが何故「矛盾」であるかというと、貨幣の基本は「物々交換のための便宜的なものであり、貨幣そのものには価値がない。貨幣により交換された物やサービスに価値がある。」という原則が侵されるからです。これらはデジタル技術により加速され、ますます貧富の差は大きくなるでしょう。私はこれらを、技術を使いこなす「過渡期」だと考えています。原子力の発明とも通じる部分があるでしょう。人間はさまざまなものを創造します。しかしながら「その技術を使いこなせるかどうか、使ってよいかどうか」という判断において人は時として間違いを犯します。原子力においても過去、多くの核実験の弊害、チェルノブイリ事故や最近では福島原発の事故が証明しています。「創造」は果てしなく行われるでしょうが、「理性」がついていかないのです。新技術を使いこなすまでにはまだまだ時間が必要でしょう。世界の「混沌」も続いています。サッカー大国ブラジルで行われた「ワールドカップ反対」のデモ。折角オリンピック有力開催地候補となったイスタンブールでの大規模デモ。エジプトにおける政治的混乱は、とうとう博物館略奪という自体にまで発展し、多くの全人類的価値のある遺物が盗まれ、傷つけられてしまいました。「物事には取り返しのつかないこと」があります。いくら後になって反省しても戻らないことばかりです。ですから今、我々人類が考えなくてならないことは未来を思いながら「新しい価値を創造」してゆくことなのです。考え方を変え、理性を取り戻し、「安全と安心」のための新しいシステムを考えることが今の時代に重要なことです。

 

 先日新聞に、墓地に関する記事が掲載されていました。記事によると、最近墓地への募集件数が増えているということです。墓地そのものの数は増えていないにも関わらず、募集が増えているというのです。どういうことでしょうか。確実に高齢化社会に向かっている日本では、墓地の需要が増えることは必然ですが、当然のごとく土地が足りません。そこで考え出されたのが「共同埋葬」というものです。最近ではこの考え方が浸透し始め、一家に一つの墓地ではなく、公園のような墓所に多くの人のお骨を合同で埋葬するというやり方が少しずつ広まって来ているということでした。私は霊的な観点からも、転生輪廻の真理からしても、このことにはまったく問題がなく、積極的に理解できます。そして30年以上前からこのことを提言してきました。私個人はたまたま以前よりの墓所がありましたので、現在は個別の墓地を利用(霊的な拠り所としてではなく、物理的な保管場所として)していますが、墓所自体が「共同埋葬」に転換するならまったく異論はありません。それどころか積極的そうしていただきたいと思っています。30年前に人間の霊的エネルギー構造を解明してから、このことを提言すると想像を絶する非難をいただきました。その内容は、墓地は霊的な拠り所であり、墓石には霊が宿るから…というようなものでした。それ以来、多くの場所でお話をし、霊的な構造を解いてきましたが、それがやっと30年たった今、人々の考え方が変わって来たのです。亡くなった方の埋葬に対する考え方でも、人々の心の変化が起こるのに30余年がかかっています。しかし残念なことに、この埋葬に対する心の変化は、霊的な構造の理解が進んだことよりも、経済的な要因です。「少子化により墓の面倒を見てくれる人がいつ途絶えるかわからないから、常に誰かが面倒を見てくれる共同墓地が良い」という考えもあるようですが、何よりも土地が高くて墓地が利便性の良い所に作れない。墓石を一基つくるのに莫大な費用がかかる。維持費が馬鹿にならない…等々が大きな原因だということです。人々が宇宙の真理に沿ってシステムを変革させることは容易ではないようです。面白いことに、思想家ではなく経済の大家ケインズがこのことを看過しています。「この世で難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、精神の隅々まで根を張った古い考えを忘れることだ」名言です。

 

 宇宙は常に変化しています。社会も変化してゆく生き物のようなものです。その中で生活する我々人間も変化しなくてはならないでしょう。「変わる」ということは簡単です。「自分で変わろうと思い、その瞬間から実行すれば」変われます。それなのに墓地に対する考え方一つとっても30年以上の年月を必要としてしまいます。何故なのでしょうか。それはまず、「変わろうとしていないこと」。そして変わろうとしている人でも、その根底にある真理を理解していないから変われない。だから切羽詰って、どうしようもなくなってから変わろうとあがくのです。でも、ほとんどが手遅れです。『何故、変わらなくてはならないか。何が重要で、何が不必要な「とらわれ」なのか』これらを理解することにより人は簡単に「変われる」でしょう。未来創学論の中に、人が不幸になってゆく原因である「不幸原理」が解かれています。その一つに「いわれなき束縛」があります。「心が捕らわれる」ことによって判断を誤ってしまうことです。これらを避けるためにも、これからは唯物的な価値観だけでなく、目に見えない心の価値観も積極的に知ることで、人間も視野が広がり、より良い人生に向かってゆくことが出来ます。

 変わることは難しい、しかし、変わることは簡単なのです。

 

註1:参考URL=http://www1.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2013/130525.html