☆新しい発想は「好奇心」と「創造」から生まれる!


 新しい年になり、何となく明るい兆しが見え始めたかな!?というところにアフリカではテロが勃発し、多くの日本人も犠牲になるという痛ましい事件が起こってしまいました。社会が落ち着くまでにはまだ道は遠いようです。

 よく「北風と太陽」という例え話がありますが、最近の世界情勢はどこを向いても「北風」ばかりで首を傾げたくなることばかりです。ここのところ、またぞろ北朝鮮が核実験を行う気配があり、世界が「制裁」と「監視」を厳しくしようとしています。厳しく対応することが必要な時も多々あるのですが、どうも近年の世界情勢を見ているとあまり良い方向と方法であるとはいえない状況でしょう。つい昨年末も北朝鮮のミサイル(ロケット!?)発射問題で世界が緊張しました。あの時も日本はすぐさま米国に追随し、すでに日程まで決まっていた日朝協議を一方的に中止しました。世界の情報戦は素人が思うほど甘くはないのは想像に難くないのですが、そうはいっても人間付き合いに「プロ」などというものはおりませんし、「絶対これが正しい」などという方法も無いわけです。しかしながら唯一「正しいと思える」考え方は「ものの根本」を捉えることでしょう。未来創学アカデミーで学ぶ皆様はこの「ものの考え方の基本」をご理解いただいているわけですが、北朝鮮の行動にしてもテロリストの行動にしても根本に相通じる部分は「貧困」であり、「権力」です。宗教という要素もあることはありますが、基本的に「宗教」は権力維持のために利用されることがほとんどなので、基本はやはり「貧困」と「権力」ということになるでしょう。

 この二つの要素はどちらもやっかいなものではありますが、どちらがより問題かというと、それは「貧困」です。何故かというなら、貧困には必ず「食えない」という本能、命に直結する原因がつきまとうからです。「権力」は思考的な欲求であり、人間の厄介な性格ではありますが、命に関わる本能ではありません。為政者は支配下にある人々をコントロールするために「食わせる」という絶対的な、生存に関わる優位性を持とうとするのです。「私がいるからあなたたちは食えるのだ」という圧力です。そして「あなたたちを食べさせようとする私を邪魔する敵が○○なのだ」と洗脳します。本当は自分がコントロールして権力を掌握しているにも関わらずです。過去、多くの為政者がこの手法を使い、国民は飢えているのに、為政者は贅沢三昧という実例は枚挙に暇がありません。

 人間は食欲、性欲、睡眠欲という三大本能を満たせれば、それほど闘争本能をむき出しにはしないものです。「十分食べられて、ゆっくり暮らす場所もあり、家族を持てれば」人間は基本的に落ち着きます。それらを得るために人間は闘争するのです。ですからそれらが満足されれば、俗に言う「金持ち喧嘩せず」の心境になってゆきます。ですから、基本の基本を考えると「人間は食べられるようになれば争わなくなる」ということです。勿論さまざまな要素が入り乱れるのが人間ですが、根本を考えるということは大変大切なことなのです。以前、北朝鮮に拉致されていた方々が奇跡的にも帰国できたことがありました。皆さんの記憶にも新しいことでしょう。従来から「拉致はない」としていたものが拉致を認め、一部の人々ではありますが帰国することが出来ました。あの時、日本は厳しい制裁を北朝鮮に科して、徹底抗戦の末、あの成果を出したのでしょうか。否です。裏でどのような取引があったにしても、決して「相手を苛め抜いて」の成果とは思えません。昨年のミサイル発射問題も何故、米国と裏で連携を取り、日程そのままに日朝協議を行い、話し合いをし、その上で直接抗議なり遺憾の意を伝えなかったのでしょうか。未だに釈然としません。

 テロも然りです。テロが発生する度に、世界中で「テロには屈しない!」と威勢の良い言葉が踊ります。原則はその通りだと思います。しかしそれは「テロに合った人は切り捨てる」というのとほとんど同義語でもあります。当事者にとっては「不幸でした」で済まされません。テロは発生したら、既に遅いものなのです。テロを発生させないためには「食べられる」環境を世界中で考え続けることが必要です。貧富の差は残るにしても、少なくとも世界中の人々が「食べられる」状況になったときに、テロは激減することでしょう。

 これからの世界は「まったく新しい価値観」で眺めなくてはならなくなるでしょう。戦争や紛争の原因はもちろん今まで述べたような二つの原因だけで起こるものではなく、さまざまな要素が複雑に絡み合って起こる「人間関係」です。だからこそ、表面的な原因や「気にくわない!」という感情的な問題だけで解決するのではなく、根本を考え、「今までと違った方法」を模索しなくてはなりません。制裁というものは「気に食わない」から行うものではなく、多くの人々が納得できる基準をもって「叱る」ことだと思います。怒るのではなく叱ることです。現世界の「制裁」はどちらなのでしょう。疑問です。

 それでは新しい発想、新しい視点はどうやって養うのでしょう。それは、「創造すること」そして「好奇心を持つこと」です。自分の既存の価値観に浸かり、相手を思いやることが出来なければ「人間関係」はすぐに壊れてしまいます。人間、その営みである文化、歴史、芸術、言語、そして人間が生きる風土…。それらに興味を持ち、自分がそこに住む人間だとしたら…と想像し、新しい接し方を「創造」する。これらが大切なのです。「好奇心」と「創造力」これが新時代の人類の素晴らしい力となるでしょう。