☆「べき」という言葉を考える


◆いままでに何冊かの本を出版させていただいております。最初の2冊は未来創学アカデミー出版部からのものでしたので、思ったことを自由に書きました。そして全国的に出版が決まって、編集の方と打ち合わせていたときのことです。「先生の原稿には、~すべき、という表現が多く使われています。この表現は最近受けませんから、出来るだけ~が良い、とか~と思う、という表現にして下さい」とアドバイスをいただきました。そのときには、へ~そんなものですかと思い、極力「べき」という表現を避けました。しかし、違和感を持っていたのも事実です。宇宙情報を分析するなかで、こう生きる「べき」である、こう考える「べき」である、と思うことはいくつもありました。例えば未来創学論の中の「心の五原則」がその最たるものでしょう。その1.「他の人の生命の危険を脅かさない(他者感省)」、その2.「感情の起伏を安定させる(自己安定)」、その3.「生存の大前提である自らの惑星を傷つけない(生源保守)」、その4.「生存に対し建設的であれ(建設思考)」、その5.「宇宙のシステムを素直に理解する(宇宙感応)」です。これらはすべてより良く生きるための「こうすべきである」という事柄を宇宙情報をもとにまとめたものです。人生にとって本質的にどれをも欠くことの出来ない要素です。
◆人間は生まれ、必ず死んでゆく生物です。特に地球人類の進化段階ですと、非常にもろい存在である「肉体」が生存に欠かせません。ですから自らも不自然に死を望まず、生命を全うするまで積極的に生きる。これが4番目の建設思考であり、自らの命を尊ぶのと同じく他人の生命も尊ぶという思想が1番目の他者感省なのです。積極的に生きるためには、自らの能力を余すところなく引き出し、使う。人間は常に感情や本能に流される生物ですから、それをコントロールする力と理性を養う。これが2番目の自己安定の意味です。宇宙や神を「頼る」存在とし、探求する姿勢を失うと、得られるものすら得られなくなるという真理を理解し、常に自らが進化し、宇宙を探求する目を失なわない。これが5番目の宇宙感応の考え方です。これらはすべて「こう生きるべき」であると人類に発せられたメッセージであり、知恵なのです。
◆ですから原稿を書いているとき、常に違和感を持っていました。今の社会は押し付けになる「べき」論は受けが悪い…。確かに頭ごなしに「こうしろ!」と押し付けられるのは嫌かもしれませんが、「こうするべきではないか」という提言は必要だったのではないかと今では後悔すらしています。
◆何故最近このように思うようになったか。それはこの「べき論」が誤った形で使われていることに憤りを感じ始めたからです。世の中を見回してみて下さい。世界を恐慌寸前まで落としいれ、一国を倒産させる寸前まで追い込んだ金融経済を、あたかも人類が生み出した最高の経済原理とでも言わんばかりに持て囃し、人々が汗水たらして働いた実体経済を吹き飛ばす事態になった今になって「もっと金融経済には規制をかけるべきだった!」世界が天災に見舞われる昨今、大災害になってから「慎重に過去のデータを尊重すべきだった!」つまり、「べき」という言葉が「言い訳」に使われていることに違和感を持つのです。「べき」という言葉は本来、「未然に考える」場合に使うことが重要なのであり、結果において「べきだった」と使っても意味がないということです。
◆このように大きな事例でなくとも世の中の、身近な生活の中にも同じようなことはいくらでもあることでしょう。「あの時やっておくべきだった」こんな後悔は出来るだけ少ないほうが良いに決まっています。
◆「べき」という言葉は「強制の言葉」ではありません。「こうしろ。ああしろ!」という命令ではないのです。「べき」はより良い道筋への提言であり、検討の題材です。今こそ政治も、経済も本質的なところを見極めるべく「べき」で話し合う必要があります。政治は「誰の為にあるべきか」、経済は「どのようにあるべきか」。自信を持って「こうするべきだ!」と発言することが大切です。人生の向上の為に、もう一度「べき論」を戦わせてみる「べき」時に来たのでしょう。