☆世界は「好奇心」にあふれてる!


◆最近、「価値観」の違いを目の当たりにする話題をよく聞きます。アメリカ大統領選挙、共和党の候補者選びの中で、争点の一つとなっているのが「国民皆保険制度」です。日本では当たり前になっている制度ですが、アメリカでは導入されていないため、医療費が高額になり、国民はなかなか満足な医療受けることができないというのが現状です。ある候補がこの保険制度の導入を公約にしたところ、対抗馬が噛み付きました。その理由というのが、「自由の侵害」です。日本人にはよく理解できないことですが、その理屈は「国が保険制度に国民を強制加入させるのは個人の自由を迫害する行為!」という主張です。日本人とは価値観が違います。もう一つアメリカの出来事です。2010年テネシー州南フルトン市でのこと。この市では住民からの税金徴収を軽減するため、消防を会社とし、市民は「必要であれば」そこに登録し、会費を払うことが条例で決まっていました。あるとき火災が発生し、消防車は来ましたが、消防活動は行わず、隣家への延焼のみ防いでいたということです。これは何故か。消防を呼んだのは隣家で、その家は会費を払っていましたが、火災を出した家は会費を払っていなかったので、消防活動を行う義務はないというのが、市と消防の見解です。これはアメリカ社会の中で問題となっている、「必要なコストを負担せず、利益だけを享受する人々」を減らす方法として考え出されたものだそうですが、我々日本人にはあまりピンとこない制度です。
◆昨年起った中国における「高速鉄道事故」を覚えている方も多いことでしょう。あの事故処理の仕方も「価値観の違い」を考えさせらる例だったと思います。世界中は価値観の違いだらけといった方がよいでしょう。民族による違い、宗教による違い、風土による違い・・・さまざまな違いがあります。
◆先日NHKの「地球イチバン」という番組で、タンザニアに住む「ハッザ族」のことが特集されていました。番組の始まりは、「世界各地の家ではどのくらいの家財道具を持っているか」というイントロでスタートし、いくつかの国の家から家財道具を外に出し並べるシーンが映し出されます。日本の家の荷物が多いのは想像に難くないことでしょう。その対極にあるもっとも家財道具を持たない民族がハッザだということです。確かに東京都2倍の広さに約1000人が小集団ごとに分かれて暮らす彼らの生活は、非常に身軽
なものでした。家財道具は一つか二つの鍋釜と、しゃもじ。狩りに必要な弓矢、ごく少量の着替え。家具と呼べるものは毛皮一枚です。これがすべて。彼らは定住せずに、これらの家財道具!?を背負って食料を求めながら場所を移動して行きます。ハッザの長がレポーターの俳優に「お前は引っ越すときに何を持ってゆくのだ」と質問しました。いろいろな家具に冷蔵庫、テレビに洋服、本やコンピューター…。「それをどうやって担ぐんだ?」とハッザの長。そもそも彼らは「担げる」物しかもたないのです。男性は狩りにでかけ、獲物があったときには全員にわける。獲物がなかったときには女性たちが近くの木の根や草の根を掘り食料とします。ハッザ族は小集団で移動するのが原則ですが、他の集団から来た若者を無条件で受け入れます。少年が大人になると(彼らには年齢がありません、というか暦の概念がありませんので「今日は今日であり、何月何日」である必要がありません。ですからいくつまでが子供で、いくつからが大人なのかわかりませんが…)自分の集団を離れ、他の集団の大人たちに狩りの手法の教えを請いに武者修行に出るようです。そして大人たちもこれらの若者を昔からの仲間のように扱います。そして社会はきちんと成り立っています。世界にはまだまだ知らない世界があり、いろいろな生活があるのだと思います。
◆最後に番組のコメンテーターが言いました。「すごく人間的で考えさせられますよね!」とありがちなコメントで終わりましたが、皆様はどうお考えになるでしょうか。率直に言えば人間的というより、どちらかというと「動物的」です。でも文明社会とどちらが良いのでしょうか。我々の文明社会には便利なものが溢れています。楽しみも数多くあります。彼らは生きるために狩りをし、食べると眠り、また明日が訪れます。その繰り返し。しかしながら、考えてみると我々も生きるために仕事をし、食べては眠り、その繰り返しです。彼らの生活には、投資も金融もありません。ギャンブルもありません。飛行機や船での旅もありません。学校や勉強もありませんが、歌い、踊ります。普通「動物的」というと悪い意味に感じます。そして「人間的」というと高尚な感じがするでしょう。しかし本来は「動物的」が真理であり、「人間的」は多くの不必要なものを背負い込み、その為に欲望に溺れ、他人を出し抜き、より多くのものを求め、逆に苦しむという意味もあるのです。この人間的と動物的をコントロールし、楽しむことこそが「人間の特徴」なのです。ですから「不幸原理」の克服が必要だということです。
◆さて「好奇心」ですが、社会は好奇心を刺激する事柄に満ち溢れています。しかし、「ふ~ん!それがどうしたの!?」と受け流しては自らのプラスにはならないでしょう。人は好奇心を持つことによって向上してゆきます。これは勉強でも同じこと。
◆自分を向上させるには「コツ」があります。「ものの見方、話の聞き方」です。勉強や訓話などはとかく一方的に発信され「聞かされる」ものでしょう。聞きたくもない話を聞かされることも多いでしょう。しかし生きてゆくにはこんな「お付き合い」も必要です。テレビ番組もそうですが、兎角社会は受身です。だから「聞き方」なのです。どうせ聞かされるなら、どうせ勉強させられるなら、「一つでいいから何かを持ち帰ろう」という姿勢に変えることです。「つまらない話だけれど、何か役に立つことはないかな!?」と自分が前向きになることによって、必ず一つは何か得るものがあるはずです。自分と違う意見でも、興味がない話でも、向き合い方によって見え方が違ってくるものです。もし得るものがない、という場合は「自分の前向きさ」が足らなかったと思うことが大切です。どうせ時間を取られるならこんな姿勢になることが「人間的」なのです。
◆視点を変えてものを見る。この気持ちが大切です。この「聞き方」の切り替えで、皆さんが得るものは格段に違ってくるでしょう。宇宙的な視線を持てば、またまた格段の向上です。「人間的」になる楽しみを持たないなんて、大損だと思います。