☆物に溢れた「子供国家」のオーラ


 桜の季節。過ごしやすい季節を迎え、皆様は如何お過ごしでしょうか。新入学や新社会人の方々は心も新たに新しい世界に挑戦してゆく「わくわくする」季節でしょう。

 私ども未来創学アカデミーも16年目の第一歩を踏み出します。今後も皆様と共に「新たなる価値観の創造と人間の能力の向上」に邁進してまいりたいと考えております。

 何卒、変わらぬご協力をお願い申し上げます。
 昨今の日本、否、世界的な傾向かもしれませんが、特に感じるのが「オーラ」のない人間が多すぎるということです。今月はこの「オーラ」の観点から社会を見てまいりたいと思います。

 

プロの欠如
 先月の「NEXTage」(編注:学報の旧名。現在はInner View)に於きまして「子供の遊び」というコラムを書きましたところ、それ以降、メディアのいたるところで同じようなニュアンスの記事を見かけることが増えました。その社会を眺める考え方の先見性と影響力は自負いたしておりますが、現状の「子供っぽい社会」という問題を誰もが感じるようになってきた事に大きな社会問題を感じざるを得ません。仕事にしろ生活にしろ「プロ」の世界にも二極分化が始まっていることが感じられます。いったい人間には何が欠け始めているのでしょうか。物質的には世界一裕福になった日本。お金があれば物的にはかなりのことが出来る世界。人間は「衣食足りて礼節を知る」筈だったものが、頑張ってきて出来上がったものが心無い稚拙な「子供国家」では悲劇です。政治家しかり、スポーツ選手しかり…。事は日本だけではありません。韓国においても、記憶に新しいこととは思いますが、学者が最先端の研究論文を捏造し、その学者生命を失ったりもしています。重要機密や情報の漏洩、建築物の耐震偽造建造等々あげればきりが無いくらいです。


「若い」ことが問題か?
 先日の国会における「偽装メール問題」は、日本の政治の未熟さをあからさまに露呈しましたが、その時のメディアの論調は、民主党執行部の「若さ」の表れだと報道したところが多く見られましたが、問題点を「若さ」に求めたのでは、何の解決にもなりません。彼らの「若さ」は、子供であったり、就学中の学生の若さとは違います。人生が50年であった頃の二十歳と、現在の二十歳では違いがあるでしょうし、戦争の真っ只中にあって命をかけた世代と、現在の平和な世の中の同世代では、これも大きな違いがあることでしょう。社会環境の違いは人間に大きく影響しますが、根本は「若さ」ではなく、「判断力」が問題なのです。今回の民主党の失点は、執行部が「若い」から間違ったのではなく、はっきり申し上げれば、執行部に冷静な判断力がなかったことが原因であると言えるでしょう。日本の舵取りを行なう国会議員の集団がなんと「子供っぽい」振る舞いであることか。


世界の舞台で…
 2月はトリノ冬季五輪がありました。日本勢はあまり盛り上がりませんでしたが…。カーリングと女子フィギュアが救いといえば救いでしょうか。しかしながら、これも先月書いたことですが、日本選手団の競技に対する前向きな気持ちが伝わってこなかったことが残念です。少なくとも「オーラ」を感じる選手は大変少なかったと思います。反面、つい先日幕を閉じたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)における日本代表選手は、特に敗者復活してからの「オーラ」はなかなかのものがあったように思えます。しかし、その前に起こったいくつかの出来事は「プロ精神の欠如」と「大人げなさ」を表す端的な例でありました。第一回のWBCの主審ともあろう人物が誤審と思われる、判定の覆しを行なったり、特定の国に有利と思われるような審判を繰り返すなど、あるまじき行為とお感じになった方も多いことでしょう。試合中、イチロー選手の守備に対して、観客が妨害的行為を行なったりと、目に余る理不尽も多い大会となりました。今回のWBCで気が付くことは、世界最先端のアメリカという「衣食(十分に)足りている」国に潔よさがなく、メキシコやキューバのように、現在でも経済的に苦労している国の方が、その言動が潔かったことです。「衣食足りて礼節を知る」筈が、今、世界はどうみても「衣食足りて欲望が増す」感じがしてなりません。日本政界にしても世界のスポーツ界にしても「大人気ない」現象が多すぎるのです。


子供のオーラ
 春は旅立ちの季節であるとともに、別れの季節でもあります。今年もさまざまな学校の卒業式にお招きいただき、出席する機会がありましたが、その中でちょっとだけ気になることがありました。昨年に比べ、いろいろなところで見る小学生や中学生から感情がなくなってきつつあるように思えるのです。「卒業、別れ」の悲しみや感動が伝わってこないのです。それなりに行事はきちんとこなしているのですが、端々に無関心さが見え隠れしていました。子供から悲しみや感動という感情が無くなってゆくことは将来において大変危険な兆候ではないでしょうか。こんな感想を持った最中、丁度昨年出版された「脳内汚染」という本を読んで衝撃を受けました。現在では「やらない子供がいない」くらい普及している「テレビ(コンピュータ)・ゲーム、大人も嵌まるネット等のメディアには、コカイン、マリファナ等の麻薬と同等の中毒症状があるということをレポートしている内容です。「そんなバカな!」と思われるかもしれませんが、幼少期から長期にわたるメディア中毒の様子が脳の働きを中心に克明に報告されています。これを読むと、「子供たちからオーラが薄れていても当然!」と感じてしまいます。本来、子供というものは、あらゆるものに興味を持ち、目が輝き、オーラを発しているものです。何より彼らには、何ものにも変えがたい「将来」という、夢を持つための「時間」があります。これが理屈抜きで子供を輝かせています。しかしそれが失われつつあるとしたら…。勿論、この本の報告がすべて正しいとは言えないかもしれませんが、特に子供を持つ親御さんには是非一度お読みいただきたい本だと感じました。

 

「オーラ」の出し方!
 先ほどから、「オーラがある」とか「オーラを感じない」という言葉を使っておりますが、それでは「オーラ」とは何なのでしょうか。ある人は「肉体の中のもう一つの実体としての霊体のことである。」という人もいます。また「オーラは目に見えない心である。」という説もあります。

 「オーラ」の真相とはずばり「生体エネルギー」のことであり、生命力の輝きのことを指します。人間の肉体は常に、繭のように生体エネルギーに包まれており、そのエネルギーが安定し、活発なほど「オーラ」は光輝いているように感じる(見える)のです。子供たちのように「将来があり、夢を持っている時」、そして「何か熱中できるものを持っている時」には輝くものです。でも良く考えてみると、人は年老いてくると「将来」はだんだん減ってくるものなので、老人の「オーラ」は輝かないのか、ということになります。また、「熱中」できるものなら、ゲームだって悪いことだって、熱中しているのだからオーラは出るのではないか、ということになります。結論から言えば老人でも「オーラ」は輝きます。同じ熱中でも悪いことでは「オーラ」は輝きません。何故ならば、有限に思える「将来」ということで言えば、皆様も既にご存知のように、生体エネルギーは現在の肉体だけで滅びるのではなく、宇宙的な長さで成長してゆくからです。また「熱中」という意味では、人間には自己防衛する能力が備わっていて、自分を破壊してしまうような極度の熱中には拒否を示し、また他人を傷つける(肉体的だけではなく精神的にも)ことへの言動には潜在的な拒否が働くからです。どちらも意識するしないに関わらず本人には過大なストレスがかかる為「オーラ」は輝きません。それではどのようにしたら「オーラ」は輝くのか。①夢を持って下さい。夢は自分を大きく成長させます。時には夢破れ試練も与えてくれます。②鏡の前でよく自分を眺めて下さい。鏡の前に立って目をつぶり、理想の自分を思い浮かべます。そして目を開き理想と現実のギャップを認識して下さい。そして毎日少しずつでも理想に近づけるように努力をしましょう。芸能人が売れてゆくに従って綺麗になってゆくのはこの手法と同じ原理です。③自分は他の人の役に立っているかどうか、を意識して生活して下さい。実はこれが最も大切なことです。人間はすべての自然に生かされている存在です。自分一人で生きている人はいません。人間は他の人に如何に良い影響を与えることができるかで、その価値が決まります。即ち「オーラ」輝く人ということになるのです。 簡単に書きましたが、是非これらを実行して、多くの方々に「オーラ」輝く人になっていただきたいと切望しています。物だけが豊かになるのではなく、心も豊かになる社会を早く実現したいと思いませんか。