菊地トオル・ロング・インタヴュー

未来創学アカデミーと能力開発を語る


第一回◆スピリチュアル能力開発の始まりは!?

 

Q:未来創学アカデミーの会員、あるいはアカデミーを知る人たちであればみんな知りたいと思うのは、いったい菊地トオルという人物は誰なのか、何故『未来創学アカデミー』を作ることになったのか、ということだと思います。ですからその辺りをまずはお聞きしたいと思うんですが。

 

菊地:なるほど。そういった話は、あちこちでしているようでいて、意外とまとまった話はしてはいませんね。アカデミーのインストラクターも、案外詳しいことは知らないかもしれませんね。

 

Q:何年も会員でいる人なんて、今さら聞けないでしょうし(笑)。私が代表して、聞きにくいこともガンガン聞いてしまおうという企画なんです()。では、まず、普通の人であった菊地トオルと、今の未来創学アカデミー代表という立場に変わるターニングポイントについて、お話いただきたいんですが。

 

菊地:キッカケは私の身体の悩みでした。つまり、私の右足が小児マヒによって、全く動かなかったのです。これは単に、顔にコンプレックスを感じたり、肉体的に正常な人があれが欲しい、これが欲しいと頑張るのと違って、私の場合は他人より明らかに劣っていたわけですよね。肉体的に見れば。だからそれを正常に戻したいという切実な思いがありました。だから今になって振り返ってみて非常に勉強になったと思うのは、スピリチュアル能力というものは「あれが欲しいこれが欲しい」というような本能的欲がらみだけでは開発しにくいものだとつくづく感じました。だから超能力が欲しいという欲求がなくても、普段からある手法を用いれば出ることもあるし、ちょっとしたきっかけで気付くこともある、またちょっと訓練すれば開発の出来る才能というか、能力なんだと思います。私の場合身体機能が劣っていたので、それを元に戻したいという強い気持ちが沸いたということでしょうね。それがきっかけになった。だからそれまでは超能力を持とう、人に教えようとか、そんな気持ちは一切なかったわけです。ただ単に自分の身体を治す方法はないかという思いがあっただけなんですよ。

 

Q:足が旨く動かなかったのは、学長が何歳の時までですか?

 

菊地:1歳から26歳までです。まあ「全く動かない」というのはちょっと語弊があるけれども…。歩けたことは歩けたわけだし。でも、非常に骨が変形していたし、今だに足は細いしね。

 

Q:それで、それを何故自分で克服しようって思ったんですか?普通の人はそんなこと考えないですよね。不治の病と云われていますから。

 

菊地:そうですね。その事は、よく講演会で話すのですけど、大学を出て、25歳のある日、デパートを歩いていたんですよ。そしたら、たまたま正面の鏡に自分の全身が映ったのが見えたんです。外で正面から自分の全身を見ることなんてめったにないでしょう。特に歩いている全身なんてまず見ない。今はビデオで簡単に撮れますが当時はほとんどないですから…。その時、その自分の姿を見て、自分がすごく足を引きずって歩いていることに気付き、大変なショックを受けました。これじゃマズイなと思った。何とかしないと、と切実に思った。まあ、小さいころから徒競走がいつもビリで、何で自分ははこんなに遅いんだろうと疑問でした。足が悪いのは自覚しているのだけど、私は1歳の頃からだから、生まれつきと同じような感覚なんです。だから不自由だという感覚はあまりなかったんですね。小さい頃の思い出としては、三輪車もこげなかったんですよね。足が横になっているからこげないんです。だから不便だなあ、と思ったこともありましたね。

 

Q:菊地学長が小児マヒにかかられたのが1歳の時、ということなんですね。

 

菊地:ええ。私は昭和31年生まれで、32年に罹ったのです。 そして、33年になるとロシアからワクチンが来ました。だから、ほぼ最後の患者のようなもので…。そんなことで非常に不思議な感覚でしたね。小さい頃だし生まれつきみたいなものだから、途中で事故に合って足が悪くなったのと違い、機能障害にもある程度慣れていた。でも不便さは感じていたし…。友達も良かったせいか足が悪いからっていじめられたことはまずないし、周りも変に気を使わないわけ。身障者だからって走るなとか言わずに、先生も親も友達も一緒に走ろうぜ、一緒に山登りに行こうぜと誘ってくれたから、全然普通と変わらないと思っていたんです。逆に何でかけっこが遅いのだろうと思っていたくらいで。もちろん病気だとはわかっていましたけど。小・中・高校と過ごしてきて、マラソン大会にも出て、で、ゴールになると先生がみんな涙流して泣いてるから、どうしたんだろうとは感じる事もありましたが…。よほど可哀想な格好して走っていたんでしょうね。まあ、そんなこともあって、自分は普通と違うのかなあと思ってはいたけど、でも友達も多かったし、普通に過ごしていました。そして社会に出てからも別に不自由がなくて。学校出て最初に勤めた会社でも1年ぐらいで営業成績もトップになれたから、だから逆にちょっと自信過剰になっていたくらいで。何の不自由もなく過ごしていました。

 

Q:でも、例のデパートでの「事件」が起きてしまった…。

 

菊地:どちらかというと人一倍、見栄っ張りでしたからね。今はちょっと太ってきたからどうでもよくなりつつあるけど(笑)、これは最大に格好悪いなあと思ったんですよ。これで足があと10センチ長かったらこれは人生変わったゾと思いましたね。だけど10センチはムリだからせめてこの足を戻そうと…。まあ、冗談みたいですけど、その時本当にそう思ったんです。

 

Q:例えば普通の人が病気になって、病院ではなく何かのパワーで治そうと思ったりする人はいるかもしれない。それで、そういうことを書いてあるインチキっぽい本もいっぱい売ってて、それにすがってみてもやっぱりダメだったりとかするわけです(笑)。でも、それが学長の場合は事実結果が出たわけですよね。それはどのようなキッカケで「自分でこれは治せるかな!?」と思ったのですか。何かそういう予感がしたのでしょうか。

 

菊地:それはね、理屈が逆なんです。私の場合、治せると思ってやったわけではないんですよ。「治りたいなあ」と思っただけ。もう、キッカケはただそれだけなんです。普通の人だって病気に罹ったら治りたいと思ってる。それは私と全く一緒ですよね。だけど、何が違ったのか、その時点では私にもわからなかった。だけれど治ってみてわかったのです。その違いは、結局「治りたいな」と漠然と思うのと、治すエネルギーを出すに至る思いの強さと思い方が違うということ。つまり「治りたい」と思うだけではスイッチは入らなくて、スイッチを入れる思い方をするということです。

その時は自分でもその違いがなかなかわからなかった。幸い私は治ってきたし、ヒーリングを初めとするスピリチュアル能力が出てきたから良かったのですが…。では「普通の人は何でなかなかそんな能力が出ないの」と良く聞かれます。私は、「治そうという気持ちの次には超えるべきハードルがあって、そのハードルを越えないと身体を治せという命令が人間には出ないんだ」ということに気づいたんです。それが自己治癒能力というものの不思議さなのですが…。でもそれがわかったのはもう少し後になってからなのです。

(第二回に続く)