常識を疑え!



 暑苦しい夏が過ぎ、爽やかな日本の秋となりました。

 未来創学アカデミー25周年を記念して菊地トオル学長に本音を語っていただいているこのロング・インタビューも早7回目となります。今回は激動のこの社会を未来創学的に眺めていただきたいと思います。


編集部(以下、編):先日、日本国民の約8割が「まだ納得していない」という安全保障法制が与党の絶対多数で強行採決・成立しました。これには与党公明党の支持母体である宗教団体からも反対の声があがりましたが…。


菊地トオル学長(以下、学長):またまた茶番でした。与党は最初からこの法案は反対があっても通すつもりですし、一般国民が国家の安全保障などは理解できない、またしなくてもかまわないという姿勢でした。野党は、国会というシステムの中では絶対多数を取られている原状で、何をしても無駄ということを知りながらパフォーマンスに走り、まさに「無駄な抵抗」をしている。国民は国民で今になってデモを組織し、戦争反対!すでに昨年12月の国政選挙においてこうなることは明確に分かっていたはずです。


編:確かにそうですね。それぞれ何が間違ったのでしょう。


学長:私は政治の専門家ではありませんが、世の中の流れを読む人間として感じるのは、すべて「あまりにも短絡的」であるということを感じるということです。与党の問題を見ると、まず「世の中が変わってきた」から「憲法解釈を変え、集団的自衛権を行使する」というのですが、それならば、これまでと決定的に「何が」変わったのかという点をもっと分かるように説明する必要があります。最後の方の国会答弁では防衛大臣も首相も答弁がしどろもどろ。大人の議論ではありませんでした。野党においても同様で、この法案は通ってしまうことは初めからわかっているのですから(与党が衆参議会において絶対多数を握っているから)つまらないパフォーマンス、つまり議場の前に女性議員をならべて「セクハラだ!」と叫ばせたり、デモに加わって大声で「最後まで戦い抜く!」と叫んだり、一人牛歩したり…こんなことは全く無駄ですし、一部の方々以外には共感する人も少ないでしょう。ますます政治から興味が失せる。

「憲法違反!」を繰り返すだけでなく、「何故世界が変化したのか」を具体的に聞き出し、「何故今すぐに」法律を作らなければならないかという根本を議論すべきだったと思います。また国民も、昨年の選挙ですでにこの問題は提起されていたのですから、絶対多数を与えたという点に問題があると思います。


編:それぞれに問題があると…


学長:そうです。それぞれピントが少しずつずれているのが今の日本の姿でしょう。


編:これは何とかなるものなのでしょうか。


学長:もちろんです。議員だって特別な人間ではなく国民の一人ですから、いろいろな意見と情熱を持って選挙に臨みます。我々は選挙をもっと大切にしなくてはいけない。今後は18歳から選挙権があるから尚更です。それぞれの意見をよく聞き、その内容を「複数」で話し合うことが大切です。


編:複数ですか?


学長:そうです。家族であったりコミュニティーであったり、友人同士であったり。自分だけの意見で考えるのではなく複数で考えるのです。そうすると自分の意見の問題点に気が付いたり、立場の違う人の意見も聞くことが出来ます。そこで反省したり、修正が出来るのです。

特に日本では政治問題、宗教問題を複数で論じることは憚られる傾向にありますが、それはおかしい。イデオロギーや信教の自由は認められていますが、それが絶対とは限りません。他の価値観を持っている人と議論すると「争い」になってしまうとするならば、それは問題です。

常に相手の意見を取り入れ「自分に問いかける」ことが出来る人間を増やすことがこれからの社会に必要な教育でしょう。そういう人材が増えることによって「武力」より有力な「外交」が出来ると考えます。何しろ、宇宙的な進化の方向はそちらの方向なのですから。何よりも生活のスピード感を少し緩める方向が望ましい。


編:スピードを緩めるというと、時代に逆行しているように感じられるのですが。


学長:そうでしょう。それが一種の「現代の悪しき洗脳」といえるかも知れません。バブル経済崩壊の後、ある程度の期間不況を経験してしまっていますので、効率化を追い求めてきた。また先進国になればなるほど楽して儲けることを覚えてしまうので始末が悪いのです。先進国がこぞって「金貸し化」しています。金融政策によって生じた「金余り」状態で、余ったお金を発展途上国の投資にまわす。でもその本心はその国の発展ではなく「利回り」。都合が悪くなればすぐに投資先を変えてしまいます。これが金融だといわれればその通りですが、それが良いのかどうかを考える必要があります。戦争も同じですが、世界には一般的な道徳観とは別に「金で金を儲けたい人」や「戦争をしたい人」が歴然と存在するのです。それらの考えに引きづられて行きたくはないでしょう。よく言われる「金貸しは天気の良いときに傘を貸し、雨が降ったら傘を取り上げる」。彼らにとってはそれが常識です。ならばその常識を少数派にするしかないのです。「効率化が良い」「金融が経済の最先端」等々。それらは「あっても良いのですが、それが大多数の常識では困るという代物です。戦争も同じ。「一般的には人殺しはしたくない。戦争はいやだ」というのが常識と思われがちですが、実は「戦争をしたい」という「常識」を持っている人がいるのです。


編:つまり常識は疑った方が良いと…


学長:その通りです。

 一神教の常識は「神は唯一無二の存在」ですが、日本のような多神教を受け入れる考え方では「八百万の神」という考え方になる。立場によって常識は変わるということです。これからの人間に必要な事は「根本の問題を押さえ、それを実現するために調整が出来る」人です。そのためには、さまざまな問題に興味を持ち、まず「自分の考えを持つ」。そして複数で議論して「調整」する。つまり自分を修正できる柔軟性を持つということ。これが結構難しいから困るんですが(笑)