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「科学」を信じよう!?

 今朝、あるワイド・ショーで「科学を信じよう!」というテーマで議論が行われました。

 まぁ、あまた出てくるさまざまな情報に惑わされることなく、科学的な根拠に基づいた情報を信じて頑張っていきましょう! という趣旨で、特にこれに反論はありません。

 

 その一例として、ノーベル賞受賞者の山中先生が今回のコロナを分析するためには「陽性者率(検査者数分の陽性者数)」が大切と説いていました。これもその通りでしょう。

 現時点で、これにのっとり計算すると、東京の陽性者率は約40%、大阪で20%ということになるようです。感染爆発しているニューヨークが20%ということですので、東京はすでに危険水域をとっくに超えていることになります。

 

 しかし現実はそうなっていません。

 山中先生の提言に異論はありませんが、一件正確そうな「数字」は信じられるものなのでしょうか。残念ながらそれは違うのです。素人でも考えつくことだとは思いますが、この「率」は分母の検査数の内容で大きく変わってしまいます。例えば日本のように、一定の症状が続いた人だけに検査を限っている場合は当然ながら陽性者率はあがります。「疑いが濃い人」だけを検査しているのですから当然です。韓国などは広く検査をしていますから陽性率は下がります。このように「科学的データ」は基準が違ってしまったら比較にならないということです。

 比較的信用が出来そうなのが「死亡者数」でしょう。「国民何人当たり死亡者数が何人」という比率です。しかし、これとても各国の医療充実度で大きく変化してしまいます。そして死亡者数を隠されてしまったらこれも信用できません。

 この辺は、当然ながら科学者は百もご承知のことでしょう。

 

 この「科学を信じよう!」ということの論点は、実は全く別のところにあります。

 

 データというものは常に「操作」されてしまいます。ですからデータ発信者に信用がなり限り、そのデータは信用できない! ということです。

 残念ながら、現在の日本の現状では、多くの国民がこれを信用しないでしょう。

 周中国国家主席の来日中止が決断されるまで中国との交通断絶が出来なかった。オリンピックの延期が決まるまで、感染者数を低く見積もっていた。そして首都東京もその判断がでるまで自粛を行わなかった。政府の感染対策の第一弾が不良品のマスク2枚……多くの対応に「ご都合」を感じ、「信用を失わさせて」います。どんなに政府が「それは違う!」と叫んでも、多くの人が感じてしまうのですから致し方ないでしょう。

 

 最近のメディア論調には「あまり対策の批判をするのはやめよう!」という機運がでてきました。賛成する方もかなりの数いるようです。これはまったくおかしいことです。国民として「おかしいと思ったことはおかしい」とはっきり言う権利があります。そして現実にも、それを聞いて政策が変わることもありました。

 この問題はポピュリズムとの関係も出て来ますので難しい問題ではありますが、「おかしいと思うこと」すら自粛しなくてはならない社会は健全ではありません。

 純粋な「科学的データ」は信用に値するでしょう。しかしながら、都合よく解釈された科学的データ「らしき」ものはまったく信用できません。