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世代が見る「景色」

 オリンピック・パラリンピックが開催の瀬戸際に来て、またまた大騒動が起こってしまいました。組織委員会会長の失言問題です。世界中からの非難が起こり、本人が「辞任」に追い込まれました。その発言は、お粗末であり、決して看過出来ないものでしたが、今回はこれらのような問題を、別の角度から考えてみたいと思います。

 

 私たちは老若男女すべての人々が、「現在」という同じ時間の中で、同じ社会を眺め、同じ情景を見ています。しかし、実は人によって「そこにある景色」がまったく違ったものに見えているとしたらどうなるでしょうか。実は、この考え方が現実に起きているさまざまなギャップの根本なのだと思います。

 

 具体的に言うと、「その人が形成される時期に、どのような環境で育ってきたか」という問題です。これは「感受性豊かな時期にどのような刺激を受けたか」とも言えます。これは友人関係から道徳的な社会観、家庭環境、社会環境……さまざまことが含まれます。

 

 「感受性が豊かな時期」に決まった年齢があるわけではありませんから、別のコラムでもお話ししましたように、いろいろなことに「興味を持って意識して」向き合えば、どんな年齢であっても感性は磨かれるのですが、残念なことに人間は年齢を経るがごとに「かなりの努力」をしないと、この「感性」が鈍って来るものです。

 

 「感受性豊かとされるのは大体十代くらいまででは?」というのが大方、皆さん納得されるところではないでしょうか。この頃までの環境や考え方が「感性を育む」という意味では、恐らくその人の一生の基礎となります。

 問題の組織委員会会長は世界大戦直前の生まれでしょうから、感性が育まれた時代は軍国主義、封建主義が主流だったと思われます。

 戦後すぐに生まれた方々は「団塊の世代」と呼ばれ、「高度成長をけん引し、今の豊かな社会を創った」という意識があることでしょう。

 我々の世代は「ノンポリ=主義主張の少ない世代」と呼ばれ、すでに戦後の記憶はなく、高度成長の中で育っています。

 現代の若者はどうかと言えば、「デジタル文化と二極分化の中に育っている」ことでしょう。

 

 こうして視点を変えてみてみると、時代には特徴があることがわかります。勿論、人それぞれによって環境は違いますが、これらのように各世代の感性を育んだ環境・価値観はさまざまですから、今、同じ景色を見ていても、それに対して感じることは世代によって「まったくの別物」、すなわちそれぞれが「別の土俵で論じている」ということを知る必要があるでしょう。

 すでにご承知のように、これがジェネレーション・ギャップの大きな要因になっています。

 

 「同じ時代」に生きている各世代が建設的な社会を目指すには、各世代でこの違いを理解する必要があります。

 コミュニケーションをもっとも妨げるものが「思いこみ」です。ある面ではいたし方のないことですが、各自が「思いこみ」を出来る限り排し、「常に感性を磨く」努力をすることによって、お互いを理解し、もっと良い社会が出来ると思うのは私だけではないでしょう。

 

 「感性」はかくも大切なものなのです。