今、世界が大変なことになっています。
3年にも及ぶコロナ禍で、ただでさえ疲弊しているこの世界に、無謀に軍事攻撃をしかける国があるとはまったくもって驚きです。
このような情況になってしまった原因を考えるとき、忘れてはならないのが自らの振舞いです。
未来創学アカデミーの考え方の中に「他者感省」というものがあります。
これは「自分以外(他者)を感じ、そして自らを省みる」という意味です。争いになりそうなとき、問題が起きそうなとき、自分の主張だけを通そうとするのではなく、相手の立場や相手の雰囲気を感じ、読み取り、まずは自分を省みてから主張を組み立て直すという、長い歴史を重ねる宇宙での、紛争を回避する先進的な人類の考え方の一つです。
このようなことを踏まえて現代社会を考えると、今の自分たちの置かれている「民主主義」というものが本当に正しいのか、問題はないのか、と考えることが重要だと言うことがわかります。
歴史的にみて、第二次世界大戦前の日本は、今のような国ではありませんでした。「軍国主義」「帝国主義」と呼ばれる意識が日本社会を支配していました。そして敗戦後、アメリカによる民主主義が持ち込まれ、その後の日本は世界的に見ても、比較的民主主義の優等生だったのかも知れません。
その「民主主義が揺らいでいる」と感じるのは私だけではないでしょう。
民主主義の大原則は「多数決」であることは周知のとおりですが、多数決というシステムは「多数」が「決める」ことが原則です。ということは「かなりの人数が賛成しないと成り立たない」ということです。
以前から指摘させていただいているように、最近の大きな決定、例えば英国のEU離脱や、大国アメリカの大統領選挙、ごく最近では韓国大統領選などもそうですが、その決定はほぼ半々という結果です。
原則論からいえば51%対49%であるなら、当然51%の勝利となりますが、人間の感情はそう簡単に割り切れるものではありませんから、残りのほぼ半数は「反対!」ということになり、社会が二分しかねない情況になることが多くなります。これが実は「多数決の落とし穴」なのです。
もう一つの側面は、民主主義は経済の資本主義とほぼイコールです。基本的に自由な競争が担保されていることは大切なことなのですが、経済活動の勝敗はかなりの部分が「商才」という才能によって決まります。従って、「商才ある人は豊かになり、そうでない人は搾取される」という構図が出来上がります。最近の世界経済では、この貧富の差が広がり過ぎ、そして目立ってきたことで、多くの不満が溜まるようになって来ました。
更に「共産主義」「社会主義」と言われる国の中にもプーチン大統領就任当初のロシアや現在の中国のように経済的にも驚異的発展をしてくる国が出てくると、人々の「民主主義を見る目」が変わってくるのも無理ないことかも知れません。
これからも「言論統制」や「独裁政治」を避け、自由な社会活動を続けるためには、これらの民主主義における欠点を反省し、改善して行く必要があるでしょう。
例えば「多数決は70%を超える必要がある」とか、「経済的な再分配を積極的に行う」とか、極端に言えばこのような対策もあるかも知れません。
これからは、今までの「既成概念」に捉われず、新しい「スタンダード」を考え出す必要に迫られている時代なのだと感じています。