社会のシステムを変えるには!

 新しい年が始まり早くも一ヶ月が経ってしまいましたが、どうも2015年は予測通り波乱含みのようです。心配されていた中東不安は世界に広がり、 フランスでは直接的テロが勃発し、そしてとうとう日本人にまで危害が及ぶ結果となってしまいました。こんな社会情勢が一体いつまで続いてしまうのでしょう か。
 世界の戦乱は今に始まったことではありません。
 人間の歴史は争いの歴史とも言えるでしょう。そんな中で重要なことは「人類が何を学び、何を反省してきたか」なのですが、どうもそれも怪しいようです。
 テロという行為は決して許されるものではありません。その立場を100%明確にした上で、もう一度考えなくてはならないことがあるのではないでしょうか。
 例え話です。
 子どもが喧嘩をしています。片方の子どもは弁が立ち、ずるがしこい子どもだったとしましょう。その子が相手の子どもを「言葉で一方的に攻撃(口撃)」し ました。相手の子どもはあまり口が達者ではありません。いじめられた子どもは長い間その罵声に耐えていましたが、とうとう耐えられなくなり思わず片方の子 どもを殴って怪我をさせてしまいました。さてどちらが悪いでしょう。暴力を振るった方でしょうか。口で攻撃した方でしょうか。

 このように 示すと多くの方がどちらも悪いと判断すると思います。「暴力はいけない」という判断もあるでしょう。また「暴力を誘発させるような言動が悪い」と思う方も いるでしょう。もっと考えると「口撃された方も、されるだけの理由があった」と考えることも出来ます。これはどれも正解なのだと思います。すなわち「正義 に絶対的な基準ない」ということです。ですから人間は「法」と云うルールを作り、少なくとも多くの人々が納得できる基準を作ろうとしました。しかしながら このルールも「考え方が同じ人々」の場合のみ通用するのであって、価値観が違ってしまったらこれも通用しなくなります。かくも人間が理解し合うということ は難しいことです。
 現代社会で起こっている紛争もほとんどこれに当てはまるでしょう。「本当は誰が悪いのかよくわからない」というのが真相なのではないでしょうか。
 過去の歴史を振り返ってみましょう。ローマ帝国はその軍事力を持って、イタリア半島のみならず遠く現在の中国まで勢力を伸ばしました。アメリカは建国す る際に、大陸にその昔から住んでいたインディアン(ネイティブ・アメリカン)を「フロンティア精神」の下、駆逐し殺戮しています。これらの殺戮は外国のみ ならず日本においても行われています。戦国時代「天下統一」の名の下に同じ民族同士が殺しあっているのです。優位な国が下位の国の民を奴隷にしていた歴史 もあります。本当にこれらを反省し、過ちを正しているならば現在の地球からとっくに紛争はなくなっていることでしょう。
 問題がどこにあるのかといえば、結局人間は「過ちを改めようとする気がない」という部分です。理由は様々でしょう。またこれは極論かもしれません。しか しながら新しい時代に入って行く今こそ、本心から過ちを改めようとし、「決して争いをしない」と云う固い決意の下、もっと真剣に対策が練られなければなり ません。それが進化というものです。
 現在、対イスラム過激派に対峙する国々では声高に「決してテロには屈しない」「テロには徹底的に立ち向かう」と叫びます。これに反対するつもりはまった くありません。現に起こってしまった攻撃には対処をするしかありません。しかし「暴力に対して暴力で応酬することが正しいのか」を考える必要があります。
 より知的で高度な方法は「紛争を起こさない(起こさせない)ようにする」ということに尽きるのです。相手を理解し、こちらを理解してもらうことが最重要 課題です。ここが重要で、「理解」とは「双方が納得できるようにする」ことです。相手の意見ばかり通していては自分がつらくなるし、自分の意見ばかりを通 すことも出来ない。ですから双方が少しずつ譲り合い、着地点を見つけることが紛争の解決へ向かう真理となりますが、これが難しい。
 話はちょっと変わりますが、「国会論戦」という言葉があります。今ちょうど行われているでしょうか。政治家の方々は必ず「国民の皆様にとって重要な法案 ですので、充分に議論を深めて行きたいと思います」とおっしゃいますが現実は如何でしょうか。せっかくですから関心を持って国会中継を見て下さい。一般的 に「議論」とは「互いの意見を述べて論じ合うこと。また、その内容。」となっていて、決して「結論をより良い方向に導くためのもの」とはなっていません。 これが問題です。国会における議論も同じで、法案の提案者側は「私たちはこれこれこうであるからこの法案を通したいと考える」と言います。すると野党は 「どこそこの部分は私はこのように考えるが如何か」と問いかけます。そうすると必ずと言ってよいほど「それは違います」と全面否定です。国会の論議で「そ ちらのおっしゃることは一理あるのでその意見を取り入れて双方の良いところを合わせて国民のためになる法律を作りましょう」といった場面に出くわしたこと はまずありません。これでは議論を深めるどころか「言い合い」です。それほど違った意見を集約することは難しいのです。しかしこれを乗り越える道はありま す。それが社会を変えてゆく基礎となります。
 先日、新春セミナーでもお話をいたしましたが、我々地球人類も遠い未来に経験するであろう第7段階に進化した宇宙の人々は、その環境から「生活のほとん どが芸術的創造活動と議論」に費やされていました。ほぼ肉体がありませんので、物質的な欲は持つ必要がなくなっているのです。ですから議論は精緻を尽く し、あらゆる角度から検討がなされ、意見の集約を行います。それが楽しみであり、すべてです。そこに「意見の違い=憎しみ」という概念はありません。「意 見の違い=探求すべき楽しみ」なのです。これをチャネリングしたときに大きなヒントを得ました。紛争を解決する真理は「決して紛争を起こさない」という強 い決意と「紛争を起こさないためになんでもする」という行動力なのだということです。現在のテロの原因は何なのでしょうか。貧困、宗教の違い、経済、利 権、権力欲…その原因はさまざまですが、「テロと徹底的に立ち向かう」というのは、人々が安心して暮らせるように貧困をなくすこと。一部の先進国だけが富 を享受するのではなくそれぞれの立場で協力すること。宗教の違いを無くすこと。権力欲を押さえること。武器を経済に利用しない事…これらを徹底的に行うこ とです。テロの原因を無くすことこそがテロと戦う唯一の道です。
 これは理想論を語っているのではありません。これこそ今、私たちが学びべき宇宙の先人の知恵なのです。