成功も失敗も、社会はすべて「人間関係」から!(全編)

 皆様に心より新年のお慶びを申し上げます。

 明けましておめでとうございます。

 

 「景気が回復した」といわれても今ひとつ実感が伴わず、何だか忙しいのだけれども、身になっていない等々、社会と生活のズレを感じながら過ごした「混沌=カオス」の一年が過ぎ、新しい年がやってまいりました。皆様は今年どんな年にしてゆきたいとお思いでしょうか。

 先日の「2014年予測講演会」でお示しいたしましたように、今年のキーワードは「(新たなる)展開」です。何か昨年よりは「ワクワク」するキーワードだと思います。さまざまな分野において新しい動きが出てくる気配があり、今まで閉塞的だった関係が進展したり、トラブルになっていたものが解決したりする流れがあります。そして以前から申し上げてきたことでもありますが、「古いシステム、価値観が崩壊」するきっかけが出始める流れを感じています。このように「新しいこと」が始まる元年になってゆくのだと思っています。しかしながら、そのすべてが良い方向であるとはいえません。状況が良くない方向に展開してゆく場合もあるでしょう。自然の流れとはそういうものであり、「人間に都合の良い方向」とばかりにはならないのが難しいところです。

 今年の「展開」には二つの方向性があります。

 一つは、「自然に新しいことが始まっていく」という傾向。そして二つ目は、「変えてゆこうという意識があると変わりやすい」という傾向です。前者は「流される」ということであり、良い方向に流される分には問題ないのですが、悪い方向に流された場合は、対処が遅くなり、なかなか流れから抜け出せないということになってしまいます。後者は「流れを作る」という方向です。こちらは、前もって「行く先と結論」を想定して行動するわけですから、さまざまな対処は比較的楽に行えることになります。どちらが良いかは当然のことで、「流れを作る」方向でしょう。場合によっては流れに乗る場合もありますが、「流され」ては困ります。

 この「流れを作る」展開を引き寄せるために、今年は是非努力して意識していただきたいことがあります。それが「人間関係」です。

 

人間関係の希薄は何を生む!?

 

 昔から社会生活の中で常に問題となってきたのが「人間関係」なのでしょう。身近なところでは「家族関係」。血のつながった家族でさえうまく理解できないことが多々あるでしょう。そして生活するのに欠かせない「職場」の人間関係。上下関係に始まり、同僚との関係、取引先との人間関係。恋人同士の人間関係や友人との関係。社会はさまざまな「人間関係」に満ちています。

 社会とは、「個々の人間の集まり」という集団ですから、そこに人間関係が発生するのは当たり前で、これを避けて生活することは出来ません。どんな時代でも、問題の多くはこの人間関係から発生しています。戦争も例外ではなく、最終的には相手を「気に食うか、気に食わないか」で殺し合いになってゆきます。「世の中、すべて人間関係!」といっても過言ではないでしょう。

 昨今、セクハラ、パワハラ、ストーカー等々以前にはあまり聞かなかった犯罪を耳にする機会が多くなりました。こうして文字にしてみると「横文字」が多いことに気がつきます。西欧諸国でも、人間関係のトラブルが多くなり、特に個人の権利意識が高い西欧諸国で意識された言葉だからでしょう。比較的日本人は、集団への帰属意識が強い国民性であるため、これらの犯罪的行為は多々あったのでしょうが、当事者が我慢をしたり、集団が容認していた場合もあるのでしょう。犯罪的行為はまったく認められませんが、今のギスギス感とは違い、集団に余裕があったという面も少なからずありました。

 最近の事件をみても、その人間関係の希薄さは異常です。ここのところストーカーによる殺人事件が連続して社会を騒然とさせました。「SNSにより知り合った男女が、直接会う前に交際を断られたことに腹を立て、家宅侵入の末殺してしまった」「交際相手に振られたので、消えてほしかった」「付き合っていた彼女に振られたので、彼女の両親を殺した」…普通では考えられないことですが、近年「普通」に発生してしまう事件です。またセクハラに関しても多くの問題が生じています。女性に対して「性的」攻撃をすることなど言語道断ですが、最近は男性上司が「どうしてよいかわからない」とノイローゼに陥るケースが激増しているようで、女性社員に対して「相手の髪型や服装に言及する」ことも場合によってはセクハラになるそうで、ましてや「恋人の有無」等個人に関わる情報に触れることも大方「セクハラ」となるようです。これらを踏まえて会社では「セクハラに関する実例集」などを作り、対処を促しているところも増えてきました。このように相手をおもんぱかって行動するための指針を明確にすることは礼儀としても良い傾向なのでしょう。しかしながら、ここにはコミュニケーションとの微妙なバランスが関係してくるのでやっかいです。「同じ行動や言葉でも、それをする相手によって受け取り方が違ってくる」のが人間関係です。実際、私がカウンセリングをさせていただいた方々もおっしゃるのですが、女性の場合、服装をほめられた時、嬉しく感じる場合もあれば、セクハラと感じるときもある。肩を軽くたたかれた時でも、パワハラを感じるときもあれば、励まされていると感じる場合もある。これは当然なのでしょう。先ほどのストーカーの場合でも事件になるような行動はすでに犯罪ですが、好きになった人の帰りを道端で待つのは、青春の一コマとして誰もがやったことがあるのではないでしょうか。これらの「同じ行動」でも相手によって感じ方が違うのは当然で、その基本にあるのが「人間関係」であることは明白です。

 

オーラは伝わる!

 

 相手によって感じ方が違う。これに迷う場合が多いようですが、実は行為を行う方の多くは通常二つの問題を持っています。一つに、普段からの「人間関係」が出来ていない。次が行為や発言に及ぶときに「気持ちがセクハラ・パワハラ」になっている、ということです。二つ目がわかりにくいかも知れません。それは、相手を注意する場合では「すでに頭にきて怒って」いて、相手を「諭す」のではなく「罵倒」する形になっていませんか。女性に対して、行動したり、発言するときに「性的興味」を秘めていませんか。行為がセクハラ、パワハラと思われるときにはこのような心理が相手に伝わっているケースがほとんどです。これを注意し、普段から人間関係を積み重ねていれば、このようなトラブルはかなり軽減されることでしょう。人間はとても敏感な部分もある動物です。カウンセリングの中でも「相手がこれだけの気分を害する行為をした」「こんなひどいことを言われた」という相談は後をたちません。当事者にとっては耐えられないものだと思います。「何故そうなったか、どうしてそのようなことをされたか」をリーディングして解決策を探りますが、もう一つ、必ずお話することがあります。「あなたにそのようにひどいことをした相手にも家族や友人もいるはず。それでは何故、あなたとそうなってしまったのかをあなた自身が考えることも必要です」と。

 人間関係を保つとき重要なのは、「自分の立場だけで考えるのではなく、相手の立場も考える」そして「相互が理解できる部分を探す努力」

が大切なのです。昨今の人間関係にはこれが決定的に欠けているように感じます。

 

社会の成功も失敗もすべて人間関係から

 

 最近、日本外交がギクシャクしています。これは日本だけに限らないかもしれません。世界のいたるところで、紛争やテロが起こっています。個人的な人間関係だけでなく「外交」こそ相手の立場を考える必要があります。政治はパワーゲームです。ですから「相手から如何に有利な条件を引っ張り出すか」の駆け引きですが、これがすべて経済と自分の都合だけで突っ走ったならば、そこに待っているのは「戦争」です。これだけは何としてでも避けなければなりません。今の人間関係の希薄さは、これらの「外交」においても例外ではありません。条件闘争をするにしても、その根底に人間関係を良好に進めようという強い意志があるかないかが重要なのです。最近イギリスで公開された世界大戦前の機密文書に、日本の暗号文を解読したものがあり、戦争のきっかけとなった出来事について「わが国(日本)は、この作戦を行うときに邪魔が入れば戦争をも辞さない」とありました。やはり「意思」というものは現実化してしまうものです。せっかく「展開」の流れがある今年、是非とも人間関係を良好にする強い意志を持って望んでいただきたいと切に願わざるを得ません。

 これは何も「外交」などという大きな問題だけに限らず、一般的な生活にも大いに関係があります。今年はすこし改善の兆しは見えてきましたが、相変わらず若者の就職活動は厳しいものがあります。「英会話は当たり前、そのほかにもう一ヶ国語を操り、留学経験もあり、外国語でコミュニケーションがとれ…」若者に求められる条件はどんどん増えてゆきます。そして就職を希望する側も「百社にエントリーしたが全部断られた。人格を否定されたようだ」と落ち込む場合も多いようです。企業も考えなくてはいけません。しかし、エントリーする方も考える必要があります。現在の未来創学アカデミーの理事長は多くの大手企業で役員を勤められてきた方ですが、「エントリーシートをPCで送る現在の就職活動には問題がある。企業も相手がわからず、勢い有名大学出身者に絞り込む。これも改善の余地はあるが、エントリーする方も安易な就活が多い。例えエントリーシートが正式であっても、何とかコネを探し、食いついてくる学生がいれば、私はその努力は大いに買う」このような企業経営者の意見もあるのです。

安易にシステムに頼り、人間関係構築の努力が薄れているのが「現代の病」といえるでしょう。 人は同じ言葉を受けても、相手との関係によって、その受け取り方はまったく違ったものになります。社会はすべて「人間関係」から始まります。今年は特に、このことを「意識」して過ごしていただければと願っています。