☆コミュ「力」!に必要なこと


◆最近、コミュニケーション・ギャップが広がっているといわれています。昔から、世代間のギャップはあるようで、「今の若い者は・・・」という表現は、古くは紀元前3500年前頃のメソポタミア・シュメール文明時代の遺跡から出土した楔形文字粘土板に同じような記述があるそうで、また日本でも平安時代、清少納言の枕草子にも「今の若者」を嘆いた記述があるようです。ということは人間が「文明」というものを築き始めた当初からこのような「嘆き」はあったようで、この問題は如何せん致し方ないようです。

◆昨年から世界の注目の的になっている、北アフリカ地域の「民主化!?」運動で、若者がフェイス・ブックやツイッターにより決起し政権を倒しましたが、それでは現在どうなっているかといえば、そのきっかけの中心となった若者たちはほとんど排除されてしまいました。ここでも世代間ギャップは現実的な問題として現れています。実にやっかいなのは、このコミュニケーション・ギャップというものが世代間ギャップだけにとどまらず、最近は特に宗教観ギャップや民族間ギャップとしても大きな社会現象となっている点だと思います。前述したエジプトを筆頭とする政治の混乱においても、今は同一民族内の宗教ギャップとなり、混乱の度合いは更に深まっています。

◆先日、NHKの番組で紹介されていましたが、近年、若者の間に「現代性うつ病」というのが多発しているようです。これは「新型うつ」とも呼ばれ、今までのうつ病とは区別されているということでした。今までのうつ病は、その多くが、「責任感が強い人に、過大なストレスが連続的に加わることによって」発症すると考えられているようですが、新型うつは上司のほんの一言によって発症し、その症状は不眠や出社することによっての情緒不安定などで、ほとんど従来のうつと変わらないそうです。根本的に異なるのは、その原因となった「人物」以外とは交友も持てるし、出社以外は外出も可能で、治療休暇中に海外旅行などに出掛けたケースもあるそうです。そしてもう一つ特徴的なことが、その原因となった人物をことごとく非難、攻撃し、「自分のせいではない」と主張するというところにあることです。一見すると「甘え」と捉えられかねないこの「うつ病」が蔓延し始めているのです。

◆その根本にあるのがコミュニケーション・ギャップです。冒頭書いたように、「今の若い者は…」という嘆きは、古来より存在するもののようですが、私は最近富に増えつつあるコミュニケーション・ギャップには世代間両方に問題があると考えています。まず一面は、若者側。少子化が進み、子供たち一人ひとりに親の目が良く届くようになり、それが過保護を生む。その親たちが集団生活の場である学校教育に過剰に口を挟み、学校側もその干渉に屈し「徒競走のゴールで(平等)になるように一緒にゴールする」などの悪平等を広めた結果、子供たちは健全な競争を経験することなく、過激な競争社会へと投げ出され、問題に対処できなくなり、病的になってゆく。次に大人側の問題として、人間が人生の多くの時間を費やす生活の場である組織社会において、経済の停滞やグローバル化の中の人件費問題等で会社や組織は「即戦力」「安い労働力」を求め、人材育成に時間をかけることもなく、少しでも意に沿わなければ簡単に人を切り捨てるということが横行しています。

◆世代の違う双方が相手を理解することなく、自分の意見のみを強く主張するようになった社会が現代の病巣でしょう。しかし、考えれば「甘い考え」の若者を作ったのも大人であり、この両問題は結果的に、現代社会の広い意味での「教育」の不適切が原因であることがわかります。

◆最近の若者は「英語力」を求められています。そして、最近では英語力だけでなく、留学などの海外経験も求められるようになり、そして英語でのコミュニケーション力も求められるようになりました。英語が話せるだけではダメだというわけです。また人々は「個性を大切にしなくてはいけない」といいますが、集団に適応しない「個性的」人材ははじかれ、従順な人間が好まれる傾向にあるのも事実です。確かに経済が国内消費に頼ることが出来なくなり、生産拠点やサービス業務さえも外国に拡散してゆく社会構造の中で、コミュニケーションに必要な言語が大切なことはよくわかります。しかしながら、現代の若者は小さい頃より、「快活で、明るいあいさつが出来、先生の指導をよく聞く、偏差値の高い、地道な努力の出来る、優秀で健康、英語が出来て、留学経験があり、外国人と流暢にコミュニケーションが取れる」人物像を求められているのが現状です。もう一度読んでみて下さい(笑)。あなたはそのような人材ですか。Noであれば現在求められる人材としては失格です。これでは若い人達がうつ病になるのも理解できます。「人のいうことを良く聞くいい子ちゃん」でなくてはならない現代の子供たちは健全とはいえないでしょう。このような教育を推し進めてしまった大人達は大いに反省すべきでしょう。

◆それではコミュニケーション・ギャップが広がってしまった現代に解決策はあるのかといえば、当然あります。 まず間違えてはいけないのは、コミュニケーションとは「言語の出来」ではないということです。言語はコミュニケーションの一手段であり、根本ではありません。コミュニケーションの根本は「感覚」であり「感受性」です。相手の雰囲気を汲み取る能力、相手の立場を想像できる能力です。テレパシー能力ともいえるでしょう。まず基本的に必要なのは「相手を理解しようとする」ことです。しかし、実はその前にもう一つやることがあります。それは「自分でものを考えること」なのです。これが案外出来ていません。人はそれぞれ別の人生を歩いていますから、経験も知識も知恵もまったく違ったものを持っています。その「違った考え」を持ち寄ることがコミュニケーションの基礎となります。意見を持たない人の議論はむなしいものです。ですから、どのような問題に対しても、自分の中で考えられる最も良いと思われる考えを探すことから始めましょう。この「考え」に正解というものはありません。なくてよいのです。それが「それぞれの」考えなのですから。そして、その「自分の考えを持ち寄り、議論し、違いを知り、共通点を探る」。この作業が現代社会からはすっぽりと脱落しています。まずそれぞれの意見を持ち、議論し、理解する。コミュニケーションとは「時間のかかる」ものなのです。自分の考えをまとめておかないと、自分の意見の欠陥にも気付くことができません。そして相手の意見の内容も理解できないでしょう。それぞれの時代、それぞれの環境、それぞれの年齢で考え方はまったく違うかもしれません。しかし違いを乗り越え理解しあう能力も人間は持っています。コミュニケーション力とは「自分を知る力」でもあり、「相手を理解する力」であります。ですからまずは自分の考えられる最高のことを考える。このことが大切なのです。