☆大震災で問われる「意識の変革」 新しい価値観の創造


◆今あの大震災をきっかけに、日本人の意識が変わってきたといわれています。確かに道々の街灯は消され、飲食店も量販店も過度な照明を消し、家庭でも「もったいない」という意識が芽生えてきています。高速道路を走っていても照明が落とされていて暗いのですが、これはこれで慣れてしまえばさして苦にもなりません。逆に今まで、何と華美な明るさのなかで暮らしてきたのかと思った方も多いことでしょう。

◆私事ですが、計画停電が実施された日、たまたま息子の誕生日に重なったのですが、家族揃ってろうそくを灯し、その光だけで語り合うのもなかなか風情があって良いものでした。テレビもつかず、インターネットも使えない。出来るのは会話をすることぐらい。毎日がこれでは困りますが、このような時間を持つことの大切さを改めて感じました。

◆消費意識にも変化があるようで、「良いものを長くつかう」とか「本当に気に入ったものを買おう」などの声が増えているようです。これらの変化は大変良いことで、未来創学論の中にある「不幸原理」の一節、「行過ぎた物質欲」の抑制はなかなか成しえない本能なのですが、ここへ来て、きっかけはともかく人々が意識を変えてゆこうとする動きは、真理に沿った動きだと感じています。

◆しかし、反面困った問題も表に出てきます。古い価値観への執着節約やもったいない」意識は否定されるものではありませんが、それは過去への回帰や郷愁ではないはずです。「三丁目の夕日」(編註:昭和30年代を描いた映画の題名)の時代に戻ることが生活の見直しとはいえません。今、問われている「意識の変化」とは、未来に向かって「何をどう判断するか」という価値観の「進化」なのです。何が正しく、何が間違っているか。出来るだけこれを正確に判断できるようになっていく。また出来るだけその判断ができるように努力する。これこそが「意識の変化」なのです。その一端が始まろうとしています。これはとてつもない変化です。このような大潮流が起ころうとするときに必ず立ちはだかるのが、変化を好まない、今までの利権や習慣を守ろうとする集団であり、意識なのです。この力は意外に強いものがあります。何故なら旧来の価値観に浸っていた方が楽に思えるからです。「変わらない方が楽!」多くの人間はそう考えるかもしれません。しかし本来は、常に新しい価値観を見出し、旧来の価値観を修正しながら生きることの方が、よい判断はしやすいのです。

◆今、政治が混乱していますが、まさにこの「旧来の価値観からの脱却」がされにくい集団といえるでしょう。また企業においても「古い価値観」に執着している集団は生存ができなくなります。これは価値観を教えているはずの宗教集団にも言えることです。宇宙を探求することをやめ、「盲信」してしまった人間に進歩はありません。ましてや「物」や「お金」そして「地位」などという価値観は人間が便宜上に決めたルールであり、そこには絶対的な価値などはあり得ないのですが、ともすると人はそこに絶大な価値観を見出し、判断を間違ってゆきます。本来はいかに「共生」してゆくか、そして「それぞれがどれだけ有意義に過ごしてゆけるか」ということが判断の基準にならなくてはいけないと考えます。

◆幻想からの脱却◆
◆今から50年程前にアメリカで放映されていたミステリーTVドラマの傑作に「トワイライト・ゾーン」という番組がありました。日本でも「ミステリー・ゾーン」という名前で放送されていたと思います。その中の一作品に「物」の価値観に疑問を呈する一話があります。

◆アメリカのある街で強盗事件が発生します。犯人が盗んだものは金塊。犯人たちは警察やマスコミから逃れるために名案を思い浮かべます。自分たちを冷凍保存し、100年後の未来に甦り、安心して大金持ちになろうという計画でした。まんまと金塊を強奪した犯人たちは眠りにつき、100年後目覚めました。その世界には、もちろん彼らを知っている者などいません。彼らはその世界のお金を持っていませんので、金塊を出し、食事をしようとします。しかし誰も相手にしてくれません。何故ならその世界で「金」はすでに人工的に合成できる金属となり、何の価値もなくなっていたのです。

◆時と共に、時代と共に「物」の価値観は変化してゆくという教訓です。もちろん物も大切です。なくて困るものも沢山あります。また欲しい物を手に入れるために人間は努力し、成長もします。ですが、物を得ることが目的化すると判断の間違いが生じてくることが多いのも事実です。

◆地位も同じ。例えば「先生」と呼ばれる職業。これは尊敬される対象です。しかし、「それは人によりけり。」ということです。同じように「首相」は偉いのか、「宗教家」は偉いのか・・・。「偉い」と思ってもらうために、そこにいろいろな権限を持たせ、地位をつくりあげていくのが「権威」というものです。それらも、こちらが「偉い」と考えれば偉いということになりますし、「そうではない」と考えれば偉くも何ともありません。ものの価値観などというものはそんなものなのです。考え方次第でいくらでも価値観は変わってゆきます。

◆今、求められているものは、このような意識の変革なのです。旧来の、物質中心の価値観から「有意義に生きる」という精神的価値観への転換が必要です。特に日本はこの20年、努力に努力を重ねてきたにも関わらず人々の収入は半減し、仕事にさえつけない現実があります。それは社会全体が目先の欲望に振り回された結果であることは疑いがありません。宇宙は新しい次元へと移行しようとしています。それは人間本来の「共生」への動きとなるものです。一人ひとりが「生きる」ことに対する「新しい価値観」を持とうと気付く時期になったと感じています。
◆変革のやり方◆

◆ここで変革の具体的な例をあげてみましょう。政治を改革するには政治家になるしかない。宗教改革をするには宗教家にならなくてはいけない。組織改革をするには、その内部に入って努力する以外に方法はない。一見正しく思えます。実はまったく逆なのです。政治を変革させるためには政治家にはなってはいけない。宗教改革をするのに宗教家になる必要はない。会社を改革するのにその会社に入社する必要はない、ということです。

◆何故なのか。とかく内部に入ってしまうと、その組織に染まってしまい、当たり前の感覚が薄らぎ「組織の考え」に染まってしまうからです。そして旧来の組織には、それが政治であろうと会社であろうと宗教集団であろうと「変わって欲しくない」と考える勢力が必ず存在するからです。外部の人間が政治を変えるのは簡単です。投票に行ったときに多くの人が「該当者なし」と意思表示をすればよいのです。ある会社を変えたいと多くの人が思ったならば、製品を買わなければ会社は自然と成り立たなくなります。変革は外部から簡単に出来るのです。一人ひとりの「思い」の力とはそれだけ強力なものだということです。

◆実は、組織も社会も「共生」へと価値観を変える、新しい時代に入ってきたのも事実です。