☆幸福と不幸の境界線


◆「何か、いいことないかな~」このせりふはよく使われます。皆さんも一度や二度は使ったことがあるでしょう。というよりも、しょっちゅう使っているでしょうか!? 確かに 最近ろくな話題を聞きません。日本は特にバブル崩壊以降やっとのところで踏ん張っていたにも関わらず、半ば強引にグローバル経済に引き込まれ、リーマンショックの直撃を受け、またまた金融経済が混乱し、ダメ押しのように東日本大震災に見舞われてしまいました。そこへ以ってきて、政治が不安定で先行きが見えません。世界も大混乱です。長い歴史を誇るヨーロッパも経済的な混乱のために破綻寸前で、政治も日本以上に大混乱。社会の混乱は世界的傾向で日本に限ったことでありません。

◆こんな時代ですから「何か、いいことないかな~」と言いたくなるのも当然でしょう。せっかく国ために役立ちたいと心に決めて、国家公務員を目指していても公務員の採用削減、好きな大空の仕事を目指してCA志望していても採用はアルバイトのみ、スキルアップのために派遣社員の道を選んだら、派遣切り。給料は1989年の消費税初導入時の基準値、年収800万円に対して2010年の国税庁調べでは平均年収は421万円まで下がっています。一体今まで何をしてきたんだろうか?と思いたくなります。

◆これらの原因の要素は沢山あるでしょうが、はっきりと言える事は「目先の利益に追われた結果」ということだけは間違いないようです。すなわち「社会の向う方向」や「これが幸せ」といえるような目標の設定が甘かった、若しくはなかったことが原因でしょうこれは政治の責任だけとはいえません。「今日より明日の生活が良くなるように!」と思うのは人間なら当然の気持ちです。でもこの言葉にも細かくみてゆくと落とし穴があります。今日より明日の方が(どんな)生活が(どのように)良くなるか、という問題提起が、実は必要だったのです。日本はほぼ世界最高水準の物質的豊かさを誇っています。世界には、まだ今日の食事もままならない人々が大勢いるにも関わらず、ほとんどの国民が食べることに困ることはほとんどありません。そんな中で、日本が崩壊し始めているのは何故なのでしょうか。

◆そこで問題になってくるのが「視点」です。ものを見る視点。幸福感というものはどうすれば充実するかという視点です。幸福感は与えられるものではありません。自分で感じるものです。どんな素敵な物をいただいたとしても、自分に必要な物でなければそれは嬉しくありません。誰かに愛されたとしても、その相手が嫌いな人であったならば苦痛をも感じることでしょう。そのように幸福感の「主体」は自分です。特に現代社会のように物と情報に溢れた社会では、人間の感覚は麻痺してきてしまい、より強い刺激が欲しくなってしまいます。これは人間の根本的な欲望に直結しているので意識して避けなければ誰でも、知らないうちに陥ってしまう不幸です。これが未来創学論でいう「不幸原理」です。

◆今の日本、世界の現状を「問題だ!」と考え、少しでも変えてゆこうとするならば、そこに必要なことは「視点」を変え、判断基準を変えることです。具体的には、「今日の自分の生活で何が幸せであったか」ということを積極的に探すこと。どんなに厳しい現実の中にでも、小さな幸せは必ず存在しているはずです。それを見つけて積み重ねることにより、生活の充実感が変わります。そうすると「自分に本当に必要なこととそうでないこと」の判別がしやすくなり、結果、社会に対しても「それは必要、それは不必要」と判断が的確になります。この判断が的確にできることこそ、日本崩壊を喰い止め、本当の意味で、「今日より明日がより良くなる」原動力になるのです。