菊地トオル・ロング・インタヴュー


第四回◆何故「未来創学アカデミー」は始まったのか!?

 

Q:組織って、怖い部分もありますからね。

 

菊地:そう!やはり組織を作って、それで「儲けよう」と思えば、結構簡単なんです。何だかんだと言っても基本的には皆さん宗教に頼ることが好きで、洗脳されることも好き(笑)。それは楽だからでしょうね。それでインチキ超能力であっても「りっぱな」教祖になってしまう。そしで歴史的な間違いを繰り返すんじゃないかと思いましたね。そうするとなぜ未来創学アカデミーという会をやっているのかって話になるわけですね(笑)。それは、率直に言っていいのかどうかわからないけど、新・新宗教だとか、ああいうものが出てきたのがキッカケとしては強くありました。霊能力とか超能力、スピリチュアルとかいろんなものがブームになって、それがあまりにも…

 

Q:いかがわしい…

 

菊地:とまで言っちゃうとちょっと問題があるかもしれないけど(笑)、今までの新興宗教のパターンを踏みながらそれを目新しくしただけの宗教団体があるでしょ。人間の能力を開発する、といいながら実はその人を盲目にして、洗脳して行くという…。つまり「信じる」ということは「探求をやめてしまうこと」であって決してよいことではない。「探求」することと「信じる」ことは根本的にまったく違う概念です。チャネリング情報や人間の能力、宇宙の仕組みは「信じる」のではなく「探求」するものなのです。現在でも要するに信じさせて、過去の歴史と同じような間違いを繰り返しながら、宗教的な戦いを起こし、思想的な戦いを起こし始めているので、これはやはり黙っているだけが能じゃないと思ったわけです。それからもう一つの側面は、かなりの人数をヒーリングやコンサルティングでみさせていただいたから、基礎はできたなと思っていたんです。だからこそ、これは「神の力でも何でもないんだ」と。そうじゃなくて「人間の抑えられた能力を開放することによって、こういう力は誰にでも持てるものなのだから、これは開発した方がいい」と言ってもかなりの人が理解してくれるだろうと。その時期に来たなと感じたのです。その二つがキッカケです。何か超能力者という人がトップに立って同じような歴史的な間違いを繰り返している、それが非常に耐えられなかったですね。 私たちが徹底的に守らなければいけないのは、「このような宇宙感や能力開発は宗教ではないのです」と伝え続けること。「信じる」のではなく、一人ひとりが「探求」することなのだということを伝えることです。それから「教祖が言うことを信じる」的なものではなくて、皆さんが理解して、皆さんに実践してもらって、自分たちに開発してもらう。そして私と同じ思いと実感を共有できるかどうか。そういう実験でもあるわけです。そこだけは絶対守ろうと思っています。宗教じゃない、ということ。それから人を洗脳することはやめよう、ということ。そうじゃなくて私のノウハウを伝えて、それぞれに実感してもらおうということに力を置くということ。これだけは絶対間違えないようにしようと思って、未来創学という人間学が始まったんです。

 

Q:未来創学アカデミーという名称は最初からですか。

 

菊地:初めは「心の開発協会」という名称でした。スタート直前は随分と葛藤がありました。それは何かといったら、今も引き続き一貫してる考え方ですけど、「宗教的な神があって、それが地球を生んで私に使命を与えたとか、そういうストーリーではない」ということだけは最初からハッキリしていたわけです。通常のそのような宗教団体に共通するストーリーに対する反発っていうのが私自身、ものすごく強かったわけです。

そして前回でも申し上げたように、いろんな団体がたくさん出てきて第三次宗教ブームなんていうものが90年頃できあがってきた。しかしそれが、私が宇宙で見た、その真実の姿とあまりにも違いすぎるということだったわけですよね。

 

Q:根本的に違っていたのですね。

 

菊地:そうです。まるで「間違いだらけのスピリチュアル!」って云う感じ。しかし、そういう見えない世界に対して世論が興味を持ったということはよいことだったとは思いますが。それでもまた歴史的な間違いを繰り返すという懸念があったわけですよね。そのときに心の開発協会で、どうやったら宗教との差別化ができるか、ということでものすごく苦しみました。つまり、どこへ行っても宗教団体だっていわれるんですよ。我々は一言も神から教えを授かっただとか、神がかってるだとか、救ってやるだとか、信じなさいだとか宗教で使われてる言葉さえも一切使わないし、やってることも、救うとかそういうものではなくて、理論を伝えているだけ。そして会員に体験をしていただくという、学校的なことをやっていたわけです。にもかかわらず、宗教団体か新興宗教か、それからインチキな神がかりななんてことを言われた部分が一番やっぱり最初はつらかった部分ですね。

 

Q:それは会の名前からくる誤解でしょうか。

 

菊地:最終的には「名称」の問題よりも、受けて側にジャンルがない、つまり「目に見えない世界の話しは宗教くさい!」という固定概念があることが原因でしょうし、またその様に思わせるように洗脳(教育!?)した、過去の霊能者や宗教家が多かったということでしょう。「心の開発協会」という名前も本当は、ずいぶん考えた末につけたものなのですが、その当時の私にしてみれば反省点でもあるんです。心=宗教くさい!というイメージになるとは捉えていなかった。これは世論にもよるんだろうし、考え方にもよると思うんだけどね。未知なる部分は宗教、それ以外は科学、現実世界、だから目に見えない「心」は宗教くさい。そこまで記が廻らなかった。そんなこともあって宗教と混同されて悩むことが多かったです。協会っていうのは、「アソシエーション」の方の協会だから、そういうふうにつけることによって、少しでも普通の社会に通用する法人的な捕え方をしてもらえるかな、と思ったんです。「人間の誰もが持っている心。それを、本来の意味で開発していきたい」というので、「心の開発協会」という名前にしたんだけど、結局は誤解されましたね(笑)今では割り切ってますけどね!そんなことがあって1年間は名前で損をしたというか。そんな部分もありました。20数年たってわかったのは、どんな名前をつけても受け手の意識の問題なのだな~!ってことでした(笑)

 

Q:会をスタートしたのは90年ぐらいだったんですね。

 

菊地:そうです。発足は1990年4月です。最初は名前を出すたびに「宗教団体じゃないでしょうね」ってよく言われましたよね。だから、式典をするにしても、会場を借りるにしても、宗教団体にはお貸しできないって言われたことも多かったですよ。変ですよね!世の中宗教団体に頼っている部分がたくさんあるし、政治家の方々なんてもろでしょ!それはよくて、新しい団体は「怪しい」となるんです。まあわからないでもないですけれど。で、どんなに説明しても、やっぱり宗教なんじゃないですかって(笑)。 だって神さまもいなければ、教祖もいない。ま、主宰者はいるわけだけど。それはどこの団体だってあたり前なのだから。それを向こうは、教祖がいて神がかったことを言ってるんだから宗教じゃないかと、そういう論法で来て。まあこういうことで悔しかったのが初期の思い出ですね。(第五回へ続く)